学生リレーエッセイ

2015.11.02  <中村 麻衣(法学部4年)>

 新憲法下の日本において、二重の差別の中で死刑になった方が存在したことをみなさんは知っていますか。ハンセン病というだけで隔離施設への入所が強制されるような、差別が最も激しい時代に、ハンセン病を疑われた方が殺人の容疑をかけられ被告とされ、全く不正な逮捕・捜査、裁判を経て、死刑による非業の死を遂げた、というのは皆さんにとって看過でき得るような瑣末な事件でしょうか。
 私は、2013年に熊本で開催された「ハンセン病市民学会」において、ハンセン病という差別を受け続けてきた病気、そして先述の事件、通称「菊池事件」を初めて知り大変な衝撃を受け、また、大きな怒りを覚えました。なにか自分でも出来ることをしたいと思っていた中、機会をいただいて「菊池事件再審をすすめる会」主催の「秋桜忌」に、昨年は模擬裁判の参加者として、今年はパネルディスカッションのパネリストとして参加させていただきました。
 今回行われたパネルディスカッションにおける私自身の発言が世間の風向きを変える一助になったかは分かりません。しかし、他のパネリストの方の発言や、報告・講演をしていただいた先生方の発言は、私に新たな知識と視点を与えてくれました。
 今回の秋桜忌のテーマは、「特別法廷を問う」というものでしたが、内田博文先生の講演の中で特に初めて知ったのが、菊池事件に限らず、ハンセン病患者さんの裁判は全て療養所内などの特別法廷で行うという「一律指定」が行われていたことです。悪名高き「らい予防法」でさえ外出につき個別に認めていたのに対し、ハンセン病患者さんを完全に排しようとする司法の態度は異常と言わざるを得ません。また、そもそも隔離政策が近年まで継続していた理由として"外の世界では差別を受けるだろうから内で生活させた方が良いだろう"というようなパターナリズムの考えがあったから、との指摘もあり、差別はどこかで断ち切らなければ悪循環するのだと考えさせられました。そしてパネリストの熊日新聞記者の森さんは、自社の新聞も当時、菊池事件に関して犯人を決め付けるような書き方をするなどして差別を煽ってしまった責任がある旨の発言をされていました。メディア、そして国によりハンセン病患者さんへの差別が強力に促進されてきたのは確かです。しかし、結局突き詰めて考えると直接的な差別の主体となってきたのは、そして、それになりうるのは私達のひとりひとりだと私は考えます。物事への無関心・思考の停止は現状への迎合、すなわち差別という行為へ流れていく危険性があると思います。だからこそ、同じような過ちを繰り返さないために皆さんに「菊池事件」という事件を知ってもらい、そして、考えてもらいたいと思っています。幸いにも情報はこのネット上にも本学図書館書架の本の中にも豊富に存在します。まずは「知る」ことからぜひ始めてみてください。
ハンセン病特別法廷(熊日2015.09.27).jpg
菊池恵楓園でのシンポジウムの様子を報じた2015年9月27日の熊本日日新聞より