学生・教員リレーエッセイ

2015.11.02  <岡田 行雄>

 法廷といえば,通常は裁判所の中に設置されるものです。日本国憲法82条及び37条によれば,刑事裁判は公開の法廷で行われることになります。ですから誰もがこれを傍聴することができます。裁判所法という法律は,その69条第1項で,「法廷は,裁判所または支部でこれを開く」と規定しています。但し,同条第2項はその例外を認めていて,「最高裁判所は,必要と認めるときは,前項の規定にかかわらず、他の場所で法廷を開き、又はその指定する他の場所で下級裁判所に法廷を開かせることができる」と規定しています。これは,火災や自然災害などで,裁判所の建物が使用できないときなどに適用される趣旨と一般には解釈されています。こうした裁判所外での法廷を特別法廷といいます。
 ところが,この特別法廷が開廷されたうち84%はハンセン病を理由とするものでした。ハンセン病とは,感染力が極めて弱い菌によって起こる病気ですが,この病気が進行した場合に見た目に大きな変化をもたらすために,患者達だけでなくその家族までも歴史的には大きな差別や偏見にさらされてきました。日本では,戦前から,ハンセン病患者の隔離を推し進め,ハンセン病療養施設という名の,厚く高い壁を持った「収容所」が,離れ小島や人里離れたところに作られ,日本国憲法施行後も,「無らい県運動」による,徹底した「患者狩り」の結果,多くの人が,この一般の人が決して入れない,療養施設に収容されることとなりました。上で見た,特別法廷の多数は,この療養施設や療養施設に付設された刑事施設の中で開廷されたのです。
 ハンセン病患者の隔離政策は,ハンセン病の原因がわかり,特効薬が開発されるに及び,国際的には放棄されていきましたが,日本では,「らい予防法」という法律に基づき,1996年まで隔離政策は維持されました。しかし,熊本地方裁判所は,2001年に,この「らい予防法」による患者の隔離が,合理的な理由がない差別であり,憲法に違反するものであったことを認め,療養施設に隔離されてきた原告に対して国がその損害を賠償するように命じ,これが確定しました。そして,厚生労働大臣が謝罪し,国会では,「隔離政策の継続を許してきた責任を認め、このような不幸を二度と繰り返さないよう、すみやかに患者、元患者に対する名誉回復と救済等の立法措置を講ずることをここに決意する」との決議がなされました。
 その後も裁判所はこうしたハンセン病隔離政策への謝罪や反省を行ってきませんでした。しかし,最高裁判所の判断による特別法廷の開廷が,被告人がハンセン病患者であるということだけを理由とした,ハンセン病に対する差別・偏見によるものであることが明らかになってきました。しかも,この特別法廷において,証拠調べも差別や偏見にまみれた形で行われ,十分な弁護すら受けられないまま死刑判決が下された事件もありました。これが熊本で起こった菊池事件と呼ばれるものです。
 ハンセン病療養施設などの一般人が立ち入れない場所で開廷された特別法廷で下された死刑判決は,憲法が定めている公開法廷で行われたものと言えるのでしょうか?このような問題提起に基づき,最高裁判所は,この特別法廷について検証を行うことになりました。最高裁判所による検証じたい極めて異例のものです。熊本から始まった問題提起がきっかけとなった最高裁判所による検証に注目していただければと思います。
 なお,この問題については「法と民主主義」という雑誌の2015年6月号に特集が掲載されていて,これは法学部図書室にありますので,どうかご一読下さい。