学生・教員リレーエッセイ

2020.12.14  <外川 健一>

 ここ数年、演習Ⅰ・Ⅱ(経済学)では、毎年1度は水俣へのゼミ合宿を行っていた。たいていは現地の一般財団法人相思社に、町案内と合宿会場(なんと25名程度ならば格安で自炊しながら泊まれる。)の手配をお願いしている。詳しくは、
https://www.soshisha.org/jp/
https://www.soshisha.org/jp/support_learning/stay

 とくにここで合宿して行う夜のBBQでは何気ない会話で盛り上がる。今年は新型コロナウィルスCovid-19の影響で、「これは開催が難しいな」と思ってはいたが、相思社のウェブサイトをなるべく毎日観るようにしている僕が、思わず唸りました。なんと埼玉大学が、この夏休みにオンラインでの街歩きや、水俣病に関する勉強会を開催したという記事と動画を目にした。「これならかなり水俣病の勉強をみんなで真剣にできる」と確信(!?)した私は、夏休みが終わってから早速相思社へ問合せをした。
 現在2年生、3年生、4年生、大学院生と大きく4つのゼミを担当しているが、各自それぞれ、個人の生活が忙しいようだ。とくにこの春から学生とのコンタクトがほぼ100%オンラインになってから、どうしても「みんなで集まって○○しよう」という雰囲気が作りにくい。まじめな学生は、講義やゼミの時間帯には、パソコンやスマホを接続してくれるが、それ以外の時間(たとえばzoomでの呑み会など)には、反応が例年より悪いのは確かだ。今回は就活前の3年生と卒論に格闘している4年生の都合を優先して聞き、11月29日(日曜日)および30日(月曜日)の2日間で(月曜日は学生が授業の入っていない時間帯に、中継をお願いした。)バーチャル水俣合宿を開催することができた。ありがたいことに法学部研究教育振興会からもこの新しい企画の補助をいただきました。
 午前中は相思社の考証館の見学から始まる。前半部分は今年からここで働いている坂本さんが相思社の成り立ちと、この場所が水俣病患者の方々の雇用の場=キノコの栽培工場からスタートしたことから丁寧にお話してくださった。地図による不知火海の特徴、当時使われた漁具の説明などもわかりやすく、当時の漁民の生活が頭に浮かぶ。後半部分相思社常務理事も兼ねている永野さんにバトンタッチ。まずは、有名な猫実験の檻の「実物」(恥ずかしながら外川は説明を聞くまで、このオブジェがこれまで「模型」だと思っていました。貴重な歴史遺産です!)の説明からスタート。チッソ病院の細川医師の実験とその事実がチッソによって封じ込まれる恐ろしいプロセスを、胸を痛めながらも学生は学んだ。また、このような事実を化学工業会が知っていながら新潟で第2の水俣病が発生し、多くの患者が苦しみ、公害裁判を起こしたとの説明があった。また1956年の公式確認前からも、実際は多くの患者がいたことも学んだ。


写真1.png   相思社考証館の説明をする坂本さん(カメラマンは永野さん)

 

 各自昼食をとって13:00からゼミ再開。相思社の葛西さんの解説と午前中もお世話になった坂本さんのカメラ・ドライバー、永野さんの相思社からの遠隔コメント入りで湯の児半島大崎鼻から現地見学がスタート。ここからは、天草の島々や御所浦が見渡せる。まずは、この場所から土地勘をできるだけ習得することから始める。そこで、昭和28年を想定して描いた鳥瞰図と見比べながら、チッソがどれだけの廃棄物を埋め立てたかを実感し、次の場所へと車で移動。大廻の塘(うまわりのとも)から丸島漁港を経由していよいよチッソ(現JNC)水俣工場へ。途中の路上から、あの有名な1959年に完成?したサーキュレーターを工場の外から一番見やすい角度で観察。このサーキュレーターは、有害物質の水銀化合物を除去する装置という触れ込みで、チッソが建てた「まやかし」の建物として有名。実際完成時には当時のチッソ社長が処理水を飲み干し、「チッソから排出される水は安全だ」とパフォーマンスしたが、実は社長が飲んだのは、安全な別の水。この装置はまったく役に立たなかったことは有名な話。ゼミ生にとってこの話は、かなり衝撃的だったようだ。
 続いて水俣駅前とチッソ正門。肥薩おれんじ鉄道の水俣駅には、水俣観光や水俣市の生んだ偉人(徳富蘇峰など)を紹介するパネルがたくさん展示されているが、水俣病事件のパネルは一枚も展示されていない。そしてすぐ正門にはJNCの工場がデンと構えている。どうしても「しっくりこない」感覚が、いつきても(見ても)感じてしまう。その後患者多発地域などをバーチャルで訪問し、相思社へ戻る。



写真2.png   水俣病事件が起こった「現場」を案内してくださる葛西さん。
   このような画面が自宅にいる学生諸君にも届けられました。

 
 ここで、待ってくださっていたのは、水俣病の訴訟に母親とともに参加し、認定患者となったものの、今もたくさんの薬で症状を抑えながら、後世にこの悲劇を伝えるためわざわざおいでいただいた荒木洋子さん。荒木さんの哀しいお話、一家全員が水俣病に侵され全滅し、様々な差別を受けた詳細は、栗原 彬編『証言 水俣病』岩波新書、2000年に詳しいのでここでは省略。しかし、びっくりしたのは荒木洋子さんのバイタリティと、その朗らかな笑顔でした。おおよそ1時間にもわたる講話のあと、学生1人1人からの画面越しのお礼のコメントに対し、荒木さんは一人一人に丁寧にお返事され、逆に僕たちが励ましをいただいた気がします。
 夕方は30分少々の休憩の間に各自、飲み物、つまみを準備して、相思社スタッフ全員をお招きしての外川主催のzoom呑み会。3つのグループに分かれて、わいわい今日一日の感想を語り合いました。



写真3.png   裁判の原告でもあり、認定患者でもある荒木洋子さん。
   バーチャルゼミ参加者全員がお礼の言葉とともに、これからの荒木さんに
   エールを送ったところ、逆に励まされもしました。
   (画面上に移っているのは法学部4年生の大津涼泉さんと荒木洋子さん。)


 翌朝は永野さんの講話。前日の復習に基づき、どのような新しい「気づき」があったのかを皆で思い出しながら、水俣病問題をどのように学び続けるか、永野さんのお話からたくさんのヒントをいただきました。ところで、このバーチャルゼミ合宿があった翌週に『テレビドキュメンタリー 2020 「MINAMATA ~ユージーン・スミスの遺志~」』という30分番組が熊本朝日放送で放映されました。時間が合わなかったので録画で見ましたが、胎児性の水俣病患者の方が、齢60を過ぎながらも懸命に生きている姿、現在も水俣病に苦しみながらも認定を受けられず、心からの謝罪を求めて訴訟する方々の存在を改めて認識できたよい番組でした。映画MINAMATAもスケジュールは公開されていませんが、近日公開ですよね。水俣病患者の日常を、カメラで追い続けたユージーン・スミスを演じるのがジョニー・デップですから、これは見逃せませんね。そこのところは葛西さんと坂本さん。バーチャル水俣町案内の車上からばっちりユージーン・スミスが住んでいた場所なども、映して説明してくださいました。
 今回のゼミ合宿を通じて、改めてこれからも学生と一緒に水俣病を学んでいきたいと痛感しました。そして感染が収まったらぜひ水俣へ実際にうかがいたいです。スタッフの皆さん、本当にお世話になりました。