研究業績

リスク社会と計画行政にはこまやかさを

著者:池田康弘(熊本大学法学部教授)
掲載誌:JAPA九州第45号(2022年3月)

 

 支部大会を熊本で引き受けることになった。テーマを決める際に悩んだ。少ない引き出しから探し出したのは,自らが6年前に経験した熊本地震だ。地震後,熊本大学では地震関連の研究には予算を付けるという。少し気が引けた。これまで災害について研究したこともない私が付け焼刃で学術研究をしていいものであろうかと。それでも,この6年間を通して,一個人一経済学研究者としてさまざま思うこともしばしばあった。この場を借りて,筆者が経験したありのままの出来事や思いを述べることにしたい。

 2016年4月14日木曜日午後9時26分,16日土曜日午前1時25分観測史上初となる2度の震度7の大地震が発生した。震源地は熊本県益城町。筆者の自宅は震源地から約3㎞,熊本大学は約13㎞であった。みなさんの記憶に残っているであろうか。地震の恐ろしさは伝わっているだろうか。あまり意識されていないようだが震度は序数的尺度である。震度7は震度6強の30倍ぐらいの威力なのである。近隣でひしゃげた建物をみて無念でならなかった。けたたましく鳴る携帯電話のアラート音に怯え,日の出とともに飛び回るヘリコプターの地面を叩きつける振動音に耳を塞いだ。音がトラウマになった。テレビの向こうにいる人たちに一刻一刻の状況を伝える必要はあるのか。誰のための報道か。東日本大震災をテレビで何気なく見ていた自分を思い出し反省した。

 今回の支部大会では,大会テーマを「リスク社会と計画行政」とした。そもそもリスクとはどのような意味であろうか。ここで,わかりやすく経済学の定義を述べよう。最初に海に飛び込むペンギンをファーストペンギンという。ファーストペンギンは,一方において餌の魚にありつく利得があり他方において天敵に襲われる損失がある。まさにペンギンの置かれた不確実な状況をリスクというのである。ペンギンのこの行動はリスク下における意思決定である。我々も多かれ少なかれこのようなさまざまなリスクに直面し,日々意思決定を繰り返している。

 熊本地震発生から,熊本では数週間物資供給が滞り,品不足が続いた。この折,市場メカニズムの導入を主張した経済学者がいたという。高くても買うという消費者から財を分け与えよということである。とんでもない。消費者の支払意思額は稼得能力や所得に依存するのである。ヒックスの楽観を標榜する市場メカニズムは平時には通用するが,非常時にはその適用に細心の注意を払うべきであろう。理論の想定する前提条件を忘れて,教科書に書かれていることを真っ当な知見として披露するのは大問題である。人々が誤解しないよう学者は襟を正すべきである。

 ところで,今一つ心に残っている出来事がある。地震発生直後,佐賀在住のゼミの卒業生がボランティアで熊本まで物資を運んだ時の話である。夜中に被災地近くの駐車場にトラックを停めていたところ,被災者がおもむろにやってきて物資をよこせとせがまれたという。物資は別の場所へ持っていくべきものであったので,押し問答が続いたという。これは,助ける側,助けられる側の緊張関係,その均衡が崩れた一面であったのだと思う。また,報道には載らない諍いや小競り合いが多数あったと伝え聞く。わかりやすいボランティアの美談だけでなく,災害の現場をつぶさに見てありのままの姿を伝えていくことが大切だと思った。

 そんな思いをした筆者だが,熊本の晴れた空を見ていると地震なんて起こらないだろうなと感じている。いや,甘い。日頃から備えをしておかねばならない。特別講演の中曽根愼良氏がまさしく指摘したように,災害は忘れたころにやってくるのである。寺田寅彦は100年余前に「予報」の重要性について説いた。50年先の予報が仮に真実であったとしても,人はついつい震災の備えを怠ってしまいがちである。そして,過去の震災の教訓も時間とともに記憶がうすれていく。だからこそ,政府が率先して備えをすべきであると。

 国家の存在意義とは,自治体のすべき役割とは何であるのか。リスク社会に立ち向かうべき計画行政のあり方が寺田の言葉から浮かび上がってくるのである。熊本地震から6年。被災した熊本大学五高記念館の修復もようやく竣工を迎えた。筆者の研究室から寺田先生の学んだ学び舎を眺めつつ,筆を擱くことにする。