学生・教員リレーエッセイ

2015.09.03  <苑田 亜矢>

 今年(2015年)の7月に私が訪れた英国図書館(British Library)では、800周年を記念する大規模な展示が行なわれていました。800年前のイングランドで、どのような歴史的事件が起きたのでしょうか。そう、皆さんもおそらくご存じのジョン王が、諸侯の要求に応じて、テムズ河畔にあるラニーミードという場所で、ある文書に承認を与えたのが、1215年のことです。その文書は、ローマ教皇の勅書によって無効とされましたが、1217年に国王ヘンリ3世によって再発行されて以降、マグナ・カルタと呼ばれることになります。なお、現在も法的に有効なマグナ・カルタは、1215年版とは内容も条文番号等も異なる1225年版です。
 1215年のマグナ・カルタは、近代的民主主義や近代的自由主義の基礎である「偉大な憲法上の文書」或いは「立憲主義の基本文書」として評価されることもありますが、ジョン王が承認した文書に対するそのような位置づけは、後世の歴史的評価によって与えられたものであることに注意が必要です。マグナ・カルタは「大憲章」としばしば訳されますが、元々、「大」と訳される「マグナ」は量が多いことを意味し、「憲章」と訳される「カルタ」は単なる「証書(英語ではチャーター)」のことでした。マグナ・カルタには、「大憲章」として神話化される過程があったわけです。この点について学びたい人には、小山貞夫『イングランド法の形成と近代的変容』創文社(1983年)に収められている「マグナ・カルタ神話の創造」と「マグナ・カルタ(1215年)の歴史的意義」を読むことをおすすめします。
 さて、今回の渡英の主たる目的は、1215年のマグナ・カルタの謄本を閲覧・調査すること等と並んで、イギリスで開催される二つの法制史学会に参加してマグナ・カルタ等に関連する講演や報告を聴くことにありました。講演に関して言えば、セルデン協会(Selden Society)の年次総会ではオクスフォード大学のポール・ブランド博士が「マグナ・カルタとイングランド法の発展に対するその寄与(1215-1307)」と題する講演を、英国法制史学会(British Legal History Conference)ではケンブリッジ大学のジョン・ベイカー名誉教授がラニーミードで「マグナ・カルターー神話の始まり」と題する講演を行ないました。
 《写真A》は、英国法制史学会の企画の中で訪れたラニーミードです。ここは、現在、ナショナル・トラストによって管理されており、その情報については、http://www.nationaltrust.org.uk/runnymede/が参考になります。《写真B》は、ラニーミードにあるマグナ・カルタの記念碑です。これは、実は、アメリカ法曹協会(American Bar Association、通称ABA)が建てたものです。記念碑には、「法の下の自由の象徴としてのマグナ・カルタを記念して」と書かれています。マグナ・カルタの神話化には、イギリスだけでなく、アメリカ合衆国における後世の歴史的評価も、大きな役割を果たしたのです。
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《写真A》ラニーミード

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《写真B》マグナ・カルタの記念碑