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(2025年度)バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプでの支援活動ほか 

山口凌さん(法学部法学科4年)

1.実施した活動内容

 今回、バングラデシュにおける主な活動は首都ダッカでの在バングラデシュ日本大使館及びJICA現地事務所の訪問とコックスバザールにあるロヒンギャ難民キャンプでの支援活動への同行、そしてチッタゴンで現地大学の訪問と地元政治家との面会であった。

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到着日のダッカ

 まずダッカでは在バングラデシュ日本大使館で齋田伸一大使と、JICAバングラデシュ事務所で市口知英所長と面会し、難民キャンプの現状や日本がバングラデシュで行っている支援活動やODAについての説明を受けた。首都ダッカのハズラット・シャージャラール国際空港はとても首都の空港とは思えないほどの設備だが、現在建設中の新ターミナルは大規模で、この建設には日本も関わっているとのことであった。衣料品・縫製品産業が盛んなバングラデシュから世界への扉がさらに開かれようとしている。昨年末、日本とバングラデシュの間でEPA交渉が大筋合意したこともあり、もともと親日国とされるバングラデシュとは今後ますます結びつきが強固なものになると思われる。そのなかで今回の旅の目的である難民問題に日本がどのように関わっていくのかが問われている。

 ダッカの中心部はオフィス街となっており、多くの企業が拠点を構える。しかし交通渋滞の激しさや大気汚染が問題となっており、急速な経済成長の弊害が顕著であった。ビル街の間で屋台が出ていたりリキシャが走る様子は隣国インドととても似ていた。

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派手な装飾のリキシャ

 ダッカでの活動を終え、バングラデシュ南部のミャンマーと国境を接するコックスバザールに移動した私たちは、世界最大規模の難民キャンプとされるロヒンギャ難民キャンプに入った。キャンプ内で最初に驚いたことは、難民キャンプとされてはいるものの、菓子類やパン、揚げ物などの食料品から洗剤や洋服などの日用品、さらには携帯電話の修理屋など多くの商店が軒を連ね、人でごった返していることだ。基本的に難民キャンプ内での通貨の使用や鉄筋を用いるなどした建築は認められていないということだが、厳密に管理されているわけではないことが見て取れた。店で売られているものもキャンプ内で作られたものだけでなく、明らかにキャンプ外から持ち込まれたことがわかる箱入りのお菓子や玩具などがあった。

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薬などを取り扱う店

 難民キャンプに入る際も警察のチェックポイントがあったがこれまた厳重ではなく、人と物の移動が活発に行われているようであった。しかしキャンプ内で車を降りるとどこからともなく鼻につく臭いが漂い、トタンや竹、UNHCRと書かれたシートなどで造られた住宅がひしめき合っていた。臭いは垂れ流しにされた汚水やそこら中に捨てられたごみから生じていた。ダッカでも路上に大量のごみが放置されている様子を見かけたが、ここではそれ以上の量と臭いであり、ここが難民キャンプであることを実感した。住宅の周辺では野放しで鶏が飼われておりそれらは食用とのことだったが、その鶏も汚水の流れる川や側溝の水を飲んでいた。これらを住民が食するのは衛生的に非常に問題である。

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ひしめき合う住居。風雨にさらされ崩壊寸前のものもあった。

 しばらくすると住宅から子供たちが湧くように集まってきた。子供たちの歓迎を受けながらキャンプ内の学校に入ると、教室内にも多くの子供たちが待っており大きな声であいさつをしてくれた。明るく元気に満ちた学校。そう思ったのもつかの間、私の目に映ったのは壁一面に貼られた空爆や銃を突きつけられる住民、ドラッグ禁止の文言が書かれた絵であった。これらは全てこの学校の子供たちが描いたもの。笑顔の子供たちの心にはミャンマーで経験したつらい記憶が深く刻まれていることを如実に物語っていた。

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銃を突きつけられる住民の絵

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空爆を受ける様子を描いたもの

 学校では日本から支援物資を持ってきたNPO法人の方が支援品の使い方を説明したうえで、私たちも子供たちにそれらの受け渡しを行った。お菓子やライトなどを受け取った子供たちはとても喜んでおり、日本語でありがとうと言ってくれる子どももいた。NPOが日本で受け取った支援金では英語の教科書が揃えられ、それも学校へと受け渡された。勉強が好きな子供たちも多く、新しい教科書を競うあうように見ていた。

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日本人の訪問で盛り上がる子供たち。カメラを見つけると興味津々で覗き込む。

 この支援品の受け渡しの時に私たちは小学校高学年ほどの子供たちに話をすることができた。教師やサッカー選手になるといったそれぞれの将来の夢や私たちを出迎えるときに掲げてくれた日本語のメッセージカードの意味、子供たちの家族についてなど様々な話をした。困難な環境にあっても未来への希望に目を輝かせているその姿に胸を打たれた。約10歳以下の子供たちは英語教育が実施される前ということでコミュニケーションをとることは困難であった。

 またこの学校の建物も竹や木材で造られていたが、長年の風雨と虫害によって破損し、屋根が低くなっているということだった。隣を流れる川にはごみが投棄されており、臭いやハエが入ってくる環境は決して良い学習環境とは言えない。学習意欲の高い子供たちが思う存分学習できるようにするためにも、教育環境の整備は必要である。

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学校のすぐ横を流れる川

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小さな子供たちは教室の後方で
不思議そうに見ていた

 学校での活動を終えた私たちはキャンプ内のコミュニティーセンターや民家、屋台型の店、支援施設が建ち並ぶエリアを訪れ、そこで生活する人や支援活動をする人に話を聴くことができた。そのエリアでは多くの子供たちがサッカーやバドミントンをして遊んでおり、一昔前の日本の風景のようであった。子どもたちは突然現れた日本人に興味津々。肩にかけたカメラや服について、そして私の名前や家族の名前まで質問攻めにされた。質問に一つ答えるととても満足そうに歓声をあげるという状態が続いた。それでも常に楽しそうにしている子供たちの笑顔はまぶしかった。

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支援施設の前で遊んでいた子供たち

 そばでは海外の支援団体の職員と作業員が屋外トイレの修繕と貯水槽の増設を行っていた。彼らによるとすぐ近くにある水道も支援によって設置されたそうだ。診療所や女性専用の施設、コミュニティーセンターはUNHCRやUNFPAといった国連機関、アメリカのUSAIDなどの支援によって設置されており、入り口には関係する諸団体のマークや国旗が記載された看板が立てられていた。日本の国旗も記されていたが、解体されたUSAIDのロゴが残ったままとなっているのは印象的だった。

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トイレの横で貯水槽の工事をする
支援団体の職員と作業員

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設置された水道設備

 山の頂上付近にあるコミュニティーセンターはとても立派な施設で利用規則が定められていた。すぐそばに住む住民の女性はミャンマー国内でアラカン軍の攻撃を受け、家族を失いながらもなんとかこの難民キャンプにたどりついたということであった。学校で出会った子供たちだけでなく、この地に暮らす多くの人が苦しみや悲しみを胸に抱きつつ暮らしている。たとえ難民キャンプ内での生活が改善されたとしても、彼ら彼女らのアイデンティティは故郷のミャンマーにある。このキャンプに来たことで武力攻撃に晒される心配がなくなったとはいえ、このままの生活が続くのも望んだことではない。いつとも知れぬ故郷への帰りを待ち続ける日々は想像に絶するつらさだろう。今難民キャンプで行われている物や設備の支援だけでなく、精神的な支援が必要になっていると感じた。

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コミュニティーセンター周辺の住居は少し大きいものだった

 2日間難民キャンプでの活動をした私たちはコックスバザールから150㎞離れた、バングラデシュ第2の都市チッタゴンまで車で4時間かけて移動した。道中に見える煉瓦工場の煙突群や田畑はバングラデシュの地方を支える重要な産業だ。チッタゴンに入る前に渡ったカルナプリー川には大型の輸送船が多く停泊・航行していた。ここには世界第3位の規模の船舶解体の拠点があり「船の墓場」と呼ばれている。

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乱立する煙突

 チッタゴンに到着した私たちは、現地の大学を訪問して学生と交流した。学生たちは海外で学習する機会を求めているとのことで、私たち日本人の学生と話ができたのがとてもうれしかったようだ。ある学生はオーストラリアの大学で研究することを目標にしていると語っていた。学内にもアメリカについて学習できる部屋が設置され歴史や政治についての本が揃えてあるなど、バングラデシュから世界へという志向が強くなっていることが感じられた。教室内に3Dプリンターが設置されているのには驚いた。

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イベントの最中で盛り上がる学生たち

 翌日は早朝から単独でチッタゴン英連邦戦没者墓地へ足を運んだ。この場所は先の大戦で戦死したイギリス軍兵士の墓地で昨年までは日本兵も埋葬されていた。昨年11月に政府派遣団がこの地で遺骨収集活動を実施し複数のご遺骨を収容した。私はインドでの遺骨収集派遣に派遣団員として参加しており、その際も現地の英連邦戦没者墓地を訪問していた。私が墓地を訪れたとき、ちょうど11月の派遣団の活動中にその場にいた管理人と会うことができ、美しく管理されている墓地を案内してもらった。朝早くから掃除や草木の手入れ、訪問者の案内などを行う丁寧な仕事ぶりに感心するとともに、お互いに「戦没者慰霊」に携わる者として固く握手をして別れた。

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早朝の英連邦戦没者墓地

 その後、私たちは最後の活動として地元の有力政治家に会うこととなり、その方の邸宅で朝食を共にした。この方はバングラデシュが東パキスタンだった時代に首相をした父と国務大臣を経験した兄を持つバングラデシュ屈指の政治家一族の一人だ。ハシナ前政権が倒れ政治が不安定なバングラデシュにおいてキーパーソンとなりうる人物でありこの面会は貴重な経験であった。名家ということで庭はきれいに手入れがなされ、建物もひと際大きく、さらに家中に世界各国の要人と会った時の写真が飾られていた。まさにバングラデシュの歴史とともにある家であった。

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各部屋に要人との写真が飾られていた

 こうして難民キャンプを中心に様々な立場の多くの人々に会うことができたバングラデシュ滞在を終えた。

2.得られた結果

 難民キャンプ内の現状やキャンプにおける支援がどこの団体によってどのように実施されているのかを見ることができたのは大きな成果だった。訪問前は世界最大の難民キャンプということもあり、とにかく物資が不足しているというイメージだったが、実際には商店が立ち並び整備された道があるという町の形の保たれたキャンプであった。そこで生活する子供たちが学校に行き英語教育を受けるまでになっているということは、今後はキャンプ内の情報や必要とされていることをよりストレートに国際社会に伝えることができるのではないだろうかとも思わされた。キャンプ内では複数の学校を訪れ、そのうち1校は私設の高校であったが、そこでは語学だけでなく物理の授業も実施しているとのことだった。このような点からも充分とは言えない教育環境ではあるものの、着実に教育の幅は広がりつつあるということを実感した。

 また世界最大の難民キャンプを抱えるバングラデシュにおいて、国連や各国のNPO、NGOの担う役割の大きさにも気づかされた。というのもバングラデシュは他国に比べて徴税率が極めて低く、自国の社会インフラ整備にすら手が回らない状態となっている。これには当局の徴税力が低いことや国民の納税意識の低さ、さらに当局が管理しきれない現金取引が多数行われていることなど様々な原因がある。ゆえに今後どれだけ難民が増えキャンプの規模が大きくなってしまったとしても、それを完全に管理することは不可能である。その分諸団体の存在意義が大きくなっているということだ。しかしそれでもギリギリの状態で運営や支援が行われている今、支援の在り方を含めていくつもの課題が浮き彫りになってきている。

3.今後の課題

 求められる支援の変容や支援の在り方というものは大きな課題だと考える。今回の訪問中に多く見かけた各国の支援で設置された施設。特に多かったのが水に関する施設であった。トイレや水道、手動の井戸、水路などだ。水は生活するうえで欠かせない資源でありその整備が急がれるのは当然のことである。しかしそれらの整備が進んだ今、難民キャンプでは使用済みの水をどう処理するかが問題になっている。活動内容でも書いたように汚水が垂れ流しになっている場所も多く、また大量のごみによって水路がせき止められて滞留し、きつい悪臭を放っている場所がある。さらにこの難民キャンプが山の上にあることから、これらの水が山の下のエリアに流れていき、そこでも問題となっているということだった。ロヒンギャ難民問題はいまだ解決の糸口がつかめていない。そのため今後もこのキャンプが使われ続け、ますます規模が拡大していくことも想定される。キャンプが存続するには地元住民の理解を得ることが重要になるが、キャンプ外にも影響が出ている状態ではなかなか難しくなってくるのではないだろうか。これまでキャンプ内に支援施設を設置した先進諸国は、変容するキャンプの現状に対応した新たなフェーズの支援をしていく必要があると思われる。

 さらに火災への対策も急務だ。私たちがキャンプを訪れた後にも近くのエリアで大火災が発生した。この火災で300を超える仮設住宅が焼失しインフラ施設や学習施設なども多数損傷した。死者は出なかったものの多くの住民が全財産や重要書類を失った。収入も無に等しく着の身着のままでこのキャンプに避難してきた人も多いため、自らを証明できる重要書類の焼失は大きな損害だ。このような火災は何度も繰り返し発生しており、そのたびに多くの難民が生活再建を強いられることになっている。難民キャンプでは可燃性のものが多い。捨てられたごみはもちろんのこと、建物に制限があることから竹やシートで作られた住宅が密集し、建物と建物の間は1人分の幅の通路しかない。さらに住民の洗濯物なども干されているため、1度火がつくと一気に燃え広がる。消防隊の消火活動も困難になる。限られたエリアに100万人が住む難民キャンプでは密集状態になるのは致し方ない。それでも被害を最小限に止めるためにも防火設備と消防機能の整備は今まさに必要とされている。各国の支援団体も平常時の支援に加えて火災の被災者に向けた支援物資を準備することも必要になっている。ただでさえ隅々まで管理することが難しい難民キャンプであるがゆえに、現地だけの問題とせず支援を行う諸国が考えていかなければならない。