学生・教員リレーエッセイ

2018.09.01  <教員T(2018年9月1日)>

 秋の訪れを感じる今日この頃ですが皆さんはいかがお過ごしですか。8月に熊本大学のオープンキャンパスが行われ、多くの高校生が黒髪の地を訪れました。法学部の説明会には約600名の高校生が参加し、午後からの体験入学には約180名と、多くの高校生が参加しました。今回の法学部との出会いが皆さんの将来に直結し、学問と親しむきっかけになればと願うばかりです。桜の咲くころに、再びお会いできることを楽しみにしています。
 さて、進学を希望する皆さんは、進路や、大学・学部を選ぶとき、何を重視していますか。大学で何が学べるのか、どんな資格が得られるのか、どんな就職先に関連するのか、偏差値は高いのか、通いやすい大学なのか、大学周辺の環境は住みやすいのかなど、様々な情報を参考にしていることと思います。
 多様な情報を参考にして導かれた選択には貴重な価値が間違いなく含まれています。もしも、情報の一つに、『大学で何を学ぶか』・『大学教育について』といった先人たちの知恵も含めてもらえれば、嬉しい限りです。
 ところで、高校までの教育では、人間社会で生きていくために必要となる基礎学力をしっかりと身につけることができます。とはいえ、基礎を身につけるという点では、さながら、基礎体力のトレーニングや筋トレといったイメージでしょうか、筋トレはあらゆる競技に通ずるもっとも重要なトレーニングではありますが、少々、退屈です。それに対し、野球やサッカー、テニスやバレーといった競技をプレーする実践練習は退屈する暇はありません。大学での学びは、さながら、実践練習といったところでしょうか、法的な知識に基づき、実践的に「法」という社会現象を思考することはなかなか楽しい学びです。
 今日において当然とされる基礎学力の充実という理解は、古くからなされておりました。いつの時代も、思考力という基礎がなければ学びを深めることは難しいでしょう。このことは、中世ヨーロッパの大学が法学・医学・神学の各専門学部を柱に据え、それを思考するために必要となる基本的な知識を「リベラル・アーツ(≒支配から解放された自由なる教養≒一般教養)」と名付け、七科に分類し、設置していた大学の歴史からも推察されます。
 いつの時代においても、人間社会の根幹である「法」を学ぶ場合には「教養」が求められるわけです。「教養」の語を『広辞苑』で引いてみると、「学問・芸術などにより人間性・知性を磨き高めること」とあります。そして、その磨き高める「人間性」は人間に備わる生来の本質であり、人間の本質である「知性」は「頭脳の知的な働き。知覚をもとにしてそれを認識にまで作りあげる心的機能」と説明されます。
 私は、知的な人間でありたいと日々願っているのですが、そう在りつづけるためにはどうすればよいのでしょう。知識の泉とも呼べる本を愛してやみませんが、本を読めば、毎回、自らの無知を思いしらされてばかりです。人が「知的である」とはどのようなことなのでしょうか。考えはじめると正解がなかなか見つかりません。まして、古来より、知恵ある者(≒知者、賢者、治者)が学ぶべきとされた、政治と人に直結する「法学」ともなれば、極めて難解な領域に足を踏み入れるのではといった印象をうけます。
 この点は、先人も指摘していて、「人間精神が扱うことのできる主題のなかでもっとも複雑なものは、政府と市民社会であります。それゆえ、一政党に盲目的に追従する人としてではなく、思慮ある人としてその双方に適切に対処しうる人になるためには、精神、物質的生活両面の重要なことがらについての一般的な知性が要求されるだけでなく、正しい思考の原理と法則によって、生活体験や、一科学または知識の一分野では提供しえない段階まで訓練され、鍛え上げられた理解力が必要となるでしょう。そこで、われわれが学ぶ目的は、将来自らの仕事に役立つような知識を少しでも身につけるといことではなく、むしろ、人間の利害に深く関わるあらゆる重要な問題について何らかの知識をもつことにあるのだということを確認しようではありませんか。(J.S.ミル著・竹内一誠訳『大学教育について』(岩波文庫、2011年)29頁)」と、もっとも複雑な法的主題として、すべての人間に関わる政府機関の存在が捉えられています。
 そして、古来より、すべての人間に深く関わる重要な「法」を学ぶということとは、「法の一般原理、法の果たすべき社会的役割、あらゆる法体系に共通な特徴とそれらの間の相違、良い立法のための必要条件、法体系の正しい構成法、最良の裁判組織と最善の訴訟手続法などについての研究......(ミル著・竹内訳・同上、98頁)」を意味し、これらの「法学」に基づき、日常的な事実のなかに存在する問題を探求し、そこから問題を法的に再構成し、そして、目的と手段を十分注意深く考慮しながら、「法」とは何であり、どうあるべきかを示し、それに引き換え人間の現状がいかに嘆かわしいものであるかを対照的に明らかとすることが、「法学」の醍醐味であるといえるでしょう。これら「法学」は、国家機関(立法・行政・司法)の主要な任務であるだけでなく、すべての主権者にとっての重大関心事と呼べる主題なのです。
 複雑に絡んだ人間の利害を「法」により解きほぐし、法的問題として再構成するところに、「法学」の楽しみがあるように感じます。今、進路を検討している皆さんが、興味関心のもてる分野に出会えることを願っています。そして、このエッセイが「法学」分野に興味をもつきっかけになれば幸いです。
 熊本大学法学部のウェブサイトにはパンフレットなども用意しています。是非ご覧ください。

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