学生・教員リレーエッセイ

2015.06.04  <朝田 康禎>

 大学生の時に読んだ本で印象深いものがある。関川夏央・谷口ジローによる『「坊っちゃん」の時代』(双葉社1987年)(*1)だ。夏目漱石を中心に森鴎外、石川啄木といった明治の文豪達がいかにして出会い、語り合い、別れていったのかを描き出している。谷口ジローによる精緻な描画(*2)は文豪達の表情をありありと描いていて、歴史上の人物を等身大の人物へと蘇らせてくれる。
  この作品の一番おもしろいところは、著名な文豪達がさまざまな場面ですれ違い、関係していくところだ。もちろん、そこはお話なのだが、森鴎外がしばらく住んでいた家に、のちに夏目漱石が住むことになったとか、朝日新聞社で漱石の書いた「それから」を啄木が校正したとか、こういうのは事実だから、ありそうな話になっている。それくらい当時才能のあった人達は同じ所に集まっていったのだろう。
 そういう文豪達の邂逅の妙が満載された作品だが、その中でも深く印象に残ったシーンがある。明治36年、第五高等学校を休職し、イギリスに留学していた漱石は帰国し、第一高等学校と東京帝国大学の英文学講師となる。前任は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)で、当初はハーンの授業時間を減らして、漱石を迎え入れるという予定だったらしいが、ハーンが校長に文句を言ったため、解雇されてしまう。ハーンは学生に大変慕われていたらしく、学生達からすると、漱石が来たために、ハーン先生が追い出されたというように映ってしまった。そのため、学生達から「ハーン先生を守れ」という留任運動が起こり、学生の中には漱石を快く思わない者もいたらしい。もちろん、漱石にはあずかり知らぬ話だ。
 実に不思議な縁なのは、漱石とハーンは、ここ第五高等学校でもすれ違っている。ハーンは明治24年から明治27年まで、漱石はその2年後の明治29年から明治33年まで五高で英語教師をしている。2年の間が開いているから、熊本ではハーンと漱石は邂逅することはなかった。当時の私もこの話を読んで、漱石とハーンが熊本でもすれ違っていたことは知らなかったし、将来、自分がその学校で働くことになるとは思ってもいなかった。
 さて、現在、漱石先生は法学部から教養棟へ向かう小径で行き交う学生を見守っている。ハーン先生は五高本館の玄関に当たる中門のところで、学生を出迎えてくれている。2人の距離は50メートルほどだ(*3)。

(*1)この作品はシリーズ化されていて、単行本は双葉社から発行されている。(1)『「坊っちゃん」の時代』(1987年)、(2)『秋の舞姫』(1989年)(森鴎外)、(3)『かの蒼空に』(1992年)(石川啄木)、(4)『明治流星雨』(1995年)(幸徳秋水)、(5)『不機嫌亭漱石』。現在は新装版が出ているので、普通に入手できる。1巻のみカラー愛蔵版が出ている。
(*2)現在では『孤独のグルメ』の原作本を描いている人として知られている。
(*3)位置関係はこのページを参照されたい。
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