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- 甲斐 樹(法学部4年)
2019.01.11 <甲斐 樹(法学部4年)>
「民事訴訟法を学ぶことは人生について学ぶことである。」
これは先日、金沢大学で行われた四大学合同の討論会で、同志社大学の川嶋四郎先生が仰っていた言葉です。
曰く、「人生とはプロセスであり、民事訴訟法も訴訟のプロセスについての法律であるから」だそうです。
これを聴いたとき私は、日頃、学生からは"眠素"と揶揄されるほど取っつきにくい科目に人生という壮大なものを見いだせるものかと驚嘆しました。
民事訴訟法の学びについては1年と少々、人生については22年そこそこの初学者ですが、この機会に民事訴訟法と私の人生の一部である大学生活について綴ってみたいと思います。
私は、高校生の頃から漠然と法曹になりたいと考えておりました。とは言ったものの、入学してからも特に法曹に向けての勉強などはせず、友人との語らいやアルバイトに励んでいました。そのような訳で、成績だけ見ると決して優秀な学生とは言えないような状況でした。
そんな私が本格的に勉学に向き合ったのは3年の夏が過ぎた頃からでした。というのも、3年生の夏休みのとき、慶應義塾大学法科大学院に進学された某アチい先輩から発破をかけられ、それをきっかけに一念発起して勉学に取り組むようになったからです。周りのロースクール志望者は春先から、あるいは、その前から進学の準備に取り掛かっておりましたので、少々あわてましたが、先輩や友人たちのアドバイスのもと準備に取り掛かりました。
そこで、私は試験対策をするために、友人と勉強会を行い、その中で、演習書やロースクールの過去問に取り組むことにしました。さらに、学生同士では不安な点もあるので、作成した答案を先生方に提出し、添削して下さるようお願いすることにしました。すると、どの先生方もお忙しい中で時間を割いて指導して下さりました。特に、1年・2年のときに選択した演習の先生は、いわゆる高校時代の担任に近い存在なので、いろいろと相談に乗ってくれました。3年も後期に入りようやく大学生活は受け身ではいけないと実感することができました。
これと同じことが民事訴訟でも言えるのではないでしょうか。主張責任を例にとって説明してみたいと思います。
民事訴訟において当事者は、一方にとって有利な事実が口頭弁論に現れないことによって当事者が受ける不利益、即ち、主張責任を負います。この点、大学生活も民事訴訟も主張すべき主要事実を主張しなかったことで不利益を被るわけですから同じと言えます。メリットを享受するためには自らアクションを起こさなければならないのだと思います(こじつけ)。
最後に、友人たちや先輩方の指導、先生方の支えもあり、無事、ロースクールに合格することができました。春から東京の地で勉強することになりますが、新天地でも自ら動く姿勢を忘れず精進していきます。