学生リレーエッセイ

2021.12.14  <学生H(2021年12月14日)>

 ついこの間、高揚感を抱きながら大学の赤門をくぐった気がしていたが、時が経つのは早く、あと3か月ほどで卒業を迎える。思い返すと大学生活の半分をコロナ禍で過ごし、パソコンと向き合う日々が続いた。印象に残っている講義はコロナ禍以前に対面で受けたものばかりで、新型コロナウイルスがいかに私の大学生活を奪ったか痛感した。
 新型コロナウイルスが終息の動きを見せないまま月日だけが過ぎていき、コロナ禍での就職活動がスタートした。コロナ禍の就活は大変だとか内定率が減少傾向にあるとか、様々な媒体で報じられ、どことなく不安になることも多かったように感じる。
 コロナ禍の就活を振り返って重要だったと感じるのは、様々な報道や外野の声を「半分」聞くことである。これは、報道や外野の声が嘘や誇張を言っているということではなく、周囲の雰囲気や声に流されず、自分自身にしっかりと「芯」を持って物事を考えるということである。確かに、常日頃から時事問題に目を向ける必要はあるが、その問題に対して自分はどう感じているのか、はっきりと自分の意見を持つことで周囲に流されない余裕が生まれる。また、SNSで遠く離れた人とも気軽に繋がれる今だからこそ、興味もないし聞いたつもりもない周囲の人の就活の進捗状況を耳にすることもある。私自身、コロナ禍で友人と直接会って他愛もない話をする機会が減ったこともあって、周囲の進捗状況を小耳に挟んでは、ひとりで考え込んで勝手に焦ることがあった。就活中は将来の不確定さ故に、自分だけが周囲に置いて行かれるのではないかと感じることもあるが、まさに「人は人、自分は自分」である。
 コロナ禍の就活において大事なことは、要するに、周囲や他人を気にすることなくどっしりと構えることである。コロナ禍であろうとなかろうと重要なことではあるが、今まで経験したことのない状況で生活する中で、特に必要な気構えであると考える。
 また、新型コロナウイルスによって対面での講義やサークル、アルバイトなどの様々な活動が制限されたことで、貴重な学生生活を無駄にしていると感じる人も多いのではないだろうか。実際に私はそう思っているし、新型コロナウイルスが目の前に現れたら懲らしめてやりたいと思っている。しかし、今だから生まれた「時間的余裕」もある。講義をリモートで受けるようになったことで、大学までの移動時間や講義と講義の間の空き時間がなくなり、自由時間が増えた点は唯一のメリットであったと考える。人と会うことや様々な活動が制限された分、自由時間は自分の為に消費できる。新型コロナウイルスのせいで何もできないと嘆くのではなく、今まで時間的余裕が無くて挑戦できなかったことや、新しい分野の勉強、気になっていた資格の取得など色々なことに好奇心を持ち、自主的に行動し学ぶ姿勢を忘れないことが重要である。そういった姿勢を忘れないことで一つでも多く得るものがあれば、コロナ禍でも得られた貴重な財産となり、我々の人生の糧になっていくと考える。
 社会情勢が目まぐるしく変化していく中で、就活を通して人生の新しいステップを踏み出すのは勇気が要ることであるし、何ならずっと学生のままでいたいと思うこともあるが、気負いすぎることなく生活していると、案外なんとかなるものである。就活だけに言えることではないが、行き詰まったときは、趣味や友人、好きな音楽などに頼って、また一歩踏み出せばいいと思う。自分の芯を見失うことなく様々な物事に好奇心を持って、自主的に行動し学び続けていれば、おのずと目指したいものが見えてくる。コロナ禍がいつまで続くか分からないが、この時代に就活をしたという経験は自分にとって糧になるものであり、コロナ禍の就活で抱いた様々な感情を忘れずにいたいと思う。