学生リレーエッセイ

2022.01.11  <学生Y(2022年1月11日)>

 3年生時からのゼミを通して、同性婚違憲訴訟の原告の方、大分県立高校生熱中症事件のご遺族、不登校親の会の方、ホームレスの支援を行っているNPO法人「抱僕」のスタッフ、弁護士の方々、などなど様々な当事者の方から直接お話を聞くことができた。やはり判例や新聞、ニュースなどで見るのと直接お話を伺うのとでは全く別物で、判例やニュースではどうしてもどこか他人事で知識という見方になってしまいがちだったが、直接お話を伺い交流した経験は単なる一つの知識という枠を超えて自分の価値観にも大きな影響を与えた。特にそれを実感したのは就職活動のときだ。
 就職活動をするとき、仕事という人生の大きな決断をするために初めて自己分析に取り組み、これまでの人生を振り返りながら自分の適性や自分がやりたいことについて考えて自分自身に向き合った。最初は自分の好きな化粧品や美容、インテリアなどを仕事に、とも考えたが途中で私にとっては好きなことがイコールやりたいことではないなと気づいた。そして、最終的に私は誰かを支える仕事がしたいなと思い、就職先を決定した。こう思うようになったのには上で述べたゼミでの経験も深く関わっていると思う。
 また当事者の方々との交流を通して、「支える」「支援する」と言っても単に手助けをして何でも助ければいいわけではないと言うことも学んだ。以前、ゼミの誰かが当事者の方に「力になりたいけど何をしたら良いかわからない」と質問していた際に、「相手が助けを求めた時にすぐに行動できる様に準備をしていてほしい」と回答されていたことがとても印象に残っている。抱僕スタッフの方も、向こうから助けを求められるまでは無理に手助けせずに根気よく仲良くなって見守ることが大事だとおっしゃっていて、見守ることが支援や支えるということの本質なんだなと思った。
 これは、子育てや仕事など様々な事に通じることで、何でも自分がやってあげて助けてあげることは早くて簡単であり、一時的には助かるかもしれないが、何も相手の成長につながらない。むしろ相手から自分で成し遂げる達成感や、成長のもとになる成功体験、成長意欲、成長する機会を奪うことになってしまう。そう思ってから、小さな事だが私の行動も変わったように思う。例えば、アルバイトにまだ慣れていない後輩の子と入った時にも、わからないと言われたときにやってあげるのではなく、やり方を伝えて自分でやるのを見守るようになった。そうすると、やって見せるだけの時に比べて後輩の覚えも早くなったような気がする。私はもうすぐ大学を卒業して社会人になるが、「見守る」ということを大事にいろんな人の支えになれる人になりたいと思う。