学生リレーエッセイ

2025.12.17  <山口 凌(2025年12月17日)>

「アラカンの山に大雨。道路は流失し山崩れ多数。この自然の猛威に何人の日本軍将兵が斃れたのか。」
 これは私がノートに記したものです。これを書いたのはインド北東部に位置するナガランド州コヒマ。81年前のインパール作戦で多くの日本人が斃れた場所です。隣のマニプール州でも展開されたこの作戦において、英印軍の攻撃や病気、飢餓、大雨などによって3万人の日本軍将兵が命を落としました。退却路は死屍累々たる有様で、のちに「白骨街道」の名で知られることになります。
 今年9月、私は厚生労働省が実施する戦没者遺骨収集事業の派遣団員として4度目となるインド派遣に参加しました。
 デリーで在インド日本大使館などへの表敬訪問を終えた派遣団は空路と陸路でコヒマへ向かいました。コヒマに到着すると、早速調査活動を開始。最初に活動したのはコヒマ南方に位置する小さな村でした。この場所は約半世紀前に私たちと同じ政府派遣団が訪れ、複数の戦没者のご遺骨を収容したとされる場所です。私たちは村人に聞き取り調査を実施するとともに、証言や残された写真などをもとに実際に試掘を行いました。しかし冒頭にも書いた通り、活動中は大雨に見舞われ、足場も悪く試掘した穴に雨水が溜まる状態でした。さらに自然豊かな現場にはヤマビルが生息しており、立ち止まるとすぐに足元から這いあがってくるなかでの活動となりました。困難を乗り越えながら2日間にわたって地元住民の協力を得て活動したものの、残念ながらご遺骨や遺留品の収容には至りませんでした。この場所でご遺骨が見つからなかったということも結果であり、また、不発弾等が確認されなかったということは、今後住民が土地利用をしやすくなったということにもなるでしょう。
 翌日からは複数の村を訪問して情報収集活動を実施しました。本来であれば、資料や証言、現地調査をもとに野戦病院があったとされる場所を試掘する予定でしたが、道路の寸断などで日程に大幅な変更が生じたため実施できませんでした。それでも訪れたすべての村で多くの住民が集まり、村に伝わる情報を提供してくれました。インパール作戦から81年が経ち現地に住む当事者も少なくなるなか、日本兵との交流やご遺骨の情報などは子や孫の世代に語り継がれていました。戦没者や遺族、遺骨収容活動に取り組む私たちだけでなく、現地の方々にとってもご遺骨や不発弾の存在は大きく、決して戦争を遠い昔の話としていないと感じました。
 今回の約2週間の派遣でご遺骨を収容することはできませんでした。戦没者の遺骨収容活動と聞くと、次々に当時の遺物やご遺骨が発見される様子を想像されるかもしれませんが、実際の現場をそうとは限りません。地域によっては1回の派遣で数十柱のご遺骨を収容することもありますが、インドでは私が参加した4回の派遣で収容できたのはわずか1柱です。それほど困難なのです。
 戦後80年。戦争の記憶が薄れゆく中で、今も世界各地に眠る戦没者の数は112万柱にも上ります。そのご遺骨を収容するため、今、この瞬間にもアジア太平洋諸国の各地で遺骨収容活動が行われています。これを機に戦没者遺骨の実情に目を向けていただければ幸いです。

20251217①②.jpg20251217③④.jpg20251217⑤⑥.jpg